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ふと

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ふと

思い出
わたしは、愛されて可愛がられて育てられた(らしい)。
一度も怒らずに、かわいいかわいい、と育てられた(らしい)。
これ、ほんと?
耳を疑いたくなるが、この、孫のいる歳になって、いまさらながら、恥ずかしい。
が、そうなんだそうだ・・・。

うえ~、キモチわる。
そう感じる方も多いだろう。
お目目きらきら、まつげクルンの無垢な少女ならともかく、
白髪混じりのバアさんが、「わたし、愛されて育ったんです」なんて、ぬけぬけと自分で言ったら、
引かれること間違いなし。
あくまでも、母とわたしのやりとりを見ていると、そういうふうに見える、と、人に言われただけである。
(それを聞くと、わたしのきょうだいたちは、大笑いすることだろう)

まあ、実のところ、あまり、甘い蜂蜜をたっぷりかけて、とろとろに愛された自覚はなく、
かと言って、虐待を受けた記憶もない。
末っ子であるし、放任ではあった。
両親は、わたしを野放しにしていたが、教育方針はピシッと芯があり、厳しかった。


わたしが子供の頃、まだ専業主婦が多かった中で、
クラスで、母子家庭のY君と、わたしだけが、幼稚園の行事では、いつも母親は不参加だった。
母親に愛されているという実感は、まるでなく、だが、放置されているという感じるわけでもなく、寂しいわけでもなかった。
親子でペアになってするお遊戯の時は、いつも、先生が相手をしてくれた。

幼稚園ではお弁当を持っていくのだが、いつも、行きに街の店で、大好きなフルーツ牛乳と、菓子パンを買った康泰旅行社
そのフルーツ牛乳が、好きで好きでしかたなかった。
なので、母親不在、弁当ナシは、まったく気にならなかった。
なんの苦にもならなかった。

幼稚園児の頃から、プラス思考だったのか、はたまた、目の前のモノに惑わされやすかったのか。
ただ、幼稚園の、管理職にあたる女性の先生には、嫌われていた(と、感じた)。
その先生の、、白い顔、真っ赤な口紅が、わたしを見て歪められた、その表情は、今もしっかり覚えている。
わたしは、別に盗みをするわけでも、嘘をつくわけでも、
イジメをするわけでも、いじけていたわけでも、騒いでいたわけでもなかった。

園児の姿をしていたが、わたしは、じつは大人だったのだろうか亞洲知識管理學院

もう一人の、担任の先生、瓜実顔で色白の、優しい美しい顔は、覚えている。
おぼろげな記憶がダブり、
その人は、うちに何日か滞在してくれた、母の学生時代のクラスメートだったかも知れないが。
彼女は、わたしのピアノの練習を見てくれた。
優しいキレイなお姉さんだった。


今までにもブログに書いたことがあるのに、また書いた・・・セピアの残像は同じシーン・・・。

今朝は、時間ぎりぎり追われるなか、なぜか、そんなことをふと思い出したCCIBA
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